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『心霊探偵八雲』本編について、語りたいんです!パート2

前半戦を終えたところで

ここで一旦、『心霊探偵八雲』談義(下手の長談義ですいません)に戻ります。
本編については1巻から6巻までの感想をご紹介してきました。
愛読されている方であれば、誰しも同じ意見かと思いますが、この6巻が一つの区切りになるものと思われます。

そう、八雲は、決して失ってはならない大切な人を失ってしまったからです。

6巻までの内容については、アニメを見た方であれば、だいたいのことはご存じかと思います。
ただアニメでは、登場人物の役割やストーリーが、多少変更されています。
(その辺りは、ウィキペディアにも詳細が記されていました。)

なので、ここまでは、少し詳細に感想を書いたつもりでいます。
アニメで記憶するのではなく、原作で本筋を読んで欲しいと思ったからです。

ですが、それもここまでです。
7巻から先は、慎重に感想を書かなければいけません。

以前にも書いたんですが、『心霊探偵八雲』は、推理小説に分類されるものと思っています。

これから読もうとされる読者の皆さんの事件推理を邪魔しないように、気を付けて感想を書いてきました。
7巻以降は、より一層、気を付けて書いていこうと思います。



登場人物の成長

7巻以降で真っ先に注目すべきことは、やはり、レギュラーキャストの成長ぶりだと思います。

6巻の事件で、それぞれの人生が、大きく変化しました。
変化せざるを得なかったという見方もできるかもしれません。

大切なものを失ったとしても、その喪失感は、生涯拭えなかったとしても、生きている人間は、生き続けなければならないからです。

残された者たちは、互いに互いを必要とし、支えあって生きていく道を選びましたが、それは決して、傷を舐めあうという関係ではありません。

それぞれが、それぞれの意思で、踏ん張って、自分の力で生きていく道を選んだのだと思います。

神永先生のすごいところは、レギュラーキャストの微妙な変化を、読者に伝わるように描いているところにあると思いました。

八雲も晴香も後藤も、一見、何も変わってはいないんです。
言動はこれまでと同じでしかないんです。

ですが、何かが少しだけ、違うという違和感を読みながら感じるんです。
そして、この違和感は、気分の良いものです。

八雲・晴香・後藤は、良い方向へと転がったようにも感じます。
八雲と晴香の距離感がものすごく近くなったようにも感じます。
八雲と後藤の距離も、微妙に近づいたような気がします。

うまく言い表すことができない、微妙なニュアンスの変化があるんです。

もしかすると、

八雲はこれまで、自分を守るために必死で壁をつくってきました。
周りの人との一線を保とうとしていたのかもしれません。

ですが、そこに必死になるという努力は無用のものだったのです。

それに気づき、守っていた壁を、思い切って取っ払ってしまったということなのかもしれません。

どんな人でも一人では生きられません。
今の八雲では、奈緒を引き取ることもできませんでした。
結局は、周りに助けてもらうしかないわけです。

それならば、向き合うことを避けるのではなく、向き合うことを受け入れたほうが、ずっと人らしい生き方です。

今まで避けてきた道を敢えて、八雲は選ぼうとしているのかもしれません。

紅葉狩(もみじがり)

能や歌舞伎は、日本の文化の象徴でもあります。
日本人ならば、それがどういった文化なのか、1度は体験したほうがいいのではないか?
と考えていました。

十数年前に、当時の職場にいた年配の職員のかたから、能のチケットを譲ってもらうというチャンスがやってきました。

そこで、母を誘って、渋谷の能楽堂に足を運んだ経験があります。

当日の演目は2つでした。
長丁場で、5時間近く、能楽堂の中で過ごしました。

1つ目の演目は、眠気に耐え切れず、途中で寝てしまったんです。
どんな演目だったのか、思い出そうとしたんですが、結局、思い出せませんでした。

ですが、2つ目の演目は今でもはっきり覚えています。
その演目が『紅葉狩(もみじがり)』でした。

全くのド素人の私でも、物語を理解することは容易く、華やかで艶やかで、賑やかな舞台でした。

眠気は一変に吹き飛んで、最初から最後まで、余すところなく楽しみました。

ですが、私の心の中に一番響いたのは、一緒に行った母の笑顔でした。

母は、私が生まれる前から、看護婦をしており、自分にも人にも厳しい人でした。
怒っている姿しか想像できない人でした。
そんな母が、少女のように目を輝かせ、少し笑い声を出しながら、夢中になって舞台を見ていたんです。

私にとっては不思議な光景でした。
厳しい人だったので、何かや誰かを褒めるということも一切しない人でした。
その母が能の舞台に魅了され、ほめちぎっていたんです。

その日は、何度も母から「ありがとう」と言われました。
母から感謝されることも、私の人生では稀なことでした。

そのちょっと後に、母は癌になりました。
手術をして、全部摘出できたので、一旦は元気になりました。
その後10年くらい頑張って生きてくれました。

癌が再発して、2年前に他界したんですが、

少しは親孝行ができたのかなとか、
もっと、いろんな場所に連れて行ってあげれば良かったのかなとか、
色々な想いが、巡ります。

さて、八雲に戻りますが、
なぜ、『紅葉狩』なのかと言いますと、
第2幕の幕開け7巻では、『紅葉狩』の舞台「鬼無里」へ、八雲、晴香、後藤が向かうことになったからです。

「鬼無里」では、まさに鬼女伝説を彷彿とさせる事件が過去に起こっていました。
その事件に八雲たちは巻き込まれていきます。

そして、この事件は八雲のルーツを辿ることにもつながっていきます。

八雲は、実の両親と、親になってくれるはずだった人たちと、育ての親を失いました。
そんな八雲が、向かった先「鬼無里」で、自分に秘められた秘密の一端を見つけることになります。

神永先生が7巻のあとがきで、「親子」がテーマのお話だったということを打ち明けています。

なので、私も昔のことを思い出し、感慨にふける時間を持つことができました。

 

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