心霊探偵八雲の世界へ!
本作は、個人的には、とても思い入れの強い作品です。
読書好きならば、誰しも夢に見る職業があります。
それはもちろん小説家です。
当然、私も小説家になりたいと十代の頃は思っていました。
実際に、小学4年生から大学を卒業するまでは、日々日々、空想に耽り、こつこつと小説らしきものを描いていました。
私が十代の頃、ライトノベルズと呼ばれるジャンルの本は、まだまだ少数でした。
一般文芸が王道で、それ以外の小説は、今のような評価はされず、もっと低いものだったと思います。
そんな時代にあっても、空想好きの私は、ファンタジーに近いお話を描いていました。
そして、一般文芸では暗黙のルールになっていた、ある禁忌を犯していたんです。
語り手が複数人いる小説を書いていました。
どういうことかと言うと、
まず、小説の中には、「セリフ」と呼ばれる部分と、「地の文」と呼ばれる部分があります。
「地の文」は、情景描写や、登場人物の行動とか心理描写が語られています。
この語り部は、作者であったり、または主人公であったり、主人公に次ぐ重要キャストであったりします。
ですが、1冊の中で、「地の文」を語ることができるのは、あくまで、たった一人だけだったんです。
たまに、登場人物一人+作者の場合もありますが、登場人物の中で、複数人が地の文を語ることはありえないと言ってもいいくらい、存在しないのが、当たり前のルールでした。
誰も違和感を覚えず、すんなり受け入れている時代でした。
そんな時代の中で、私の小説は、小段落ごとに、語り部が交代するような形態をとっていました。
元来、欲張りで、なんでも全部語ってしまいたい派なんです。
単純に、登場人物みんなの気持ちを平等に描いてあげたい。
と思っていただけなんですが、それは認められない解釈でした。
描いた小説は当然、友人や担任の先生に読んでもらって、アドバイスをもらっていました。
読んだ人たちは、物語自体は面白いと言ってくれました。
ですが必ず、語り手が複数人いることがおかしいというコメントも付随していました。
確かにつたない文章だったので、語り部が複数人いると、誰が語っているのか読んでいてもイマイチわかり辛かったんだと思います。
そのつたなさを注意されるのは、致し方ありません。
ですが、語り部が複数人いること自体を否定されたのは、とてもショックでした。
語り部が複数人になることが、自分の小説の特徴なんだと思っていたからです。
それから時は大きく流れます。
社会人になって、日々の仕事に追われ、忙しく、筆をとる頻度が減り、とうとう何も描かないようになってしまっていました。
そんなある日、本作『心霊探偵八雲』に出逢います。
『心霊探偵八雲』は、私がやりたいと思っていた、複数人の語り部を、一般文芸作品の中でやってのけている作品でした。
『心霊探偵八雲』は、区切りの多い作品で、場面が細切れになって描かれています。
読者からすると、休み休み読めるので、仕事や移動の合間に少しずつ読むこともでき、非常にありがたい小説です。
読書が苦手な人にも優しい小説だと思います。
その少区切りごとに、語り部が変わります。
主要登場人物たちが、バトンリレーのように、語り部を交代して行きます。
そして、ここが重要なんですが、
なんと、主人公の「八雲」が語り部になることが、ほぼ無いんです。
0ではないんですが、ほぼ0に近い確率で、八雲の気持ちが語られることはありません。
主要登場人物たちの、想いや気持ちは語らせますし、主要登場人物たちが想像した八雲の気持ちは語られますが、実際の八雲が、いつなにをどう思っているのかは、読者に想像させるといったスタンスを取っています。
私の想像を超えた偉業を一般文芸で成し遂げられている作品だったんです。
もちろん、私が出逢っていないだけで、他にも、一般文芸で同じ偉業を行っている小説はあるのかもしれません。
実際、作中で一時的に、語り部になるキャストが登場するケースもあります。
でも、ここまで、細かく巧妙に描かれている語り部のバトンリレーは、なかなか無いのではないかと思うんです。
私にはとても無理でしたが、私の夢を叶えてくれた作品でした。
たぶん神永先生とは、同年代なので、なおさら心に響くものがありました。
まだ本作を読んでいないという方は、ぜひ、このバトンリレーを味わってみて欲しいと思います。
そして、八雲の動きや顔の表情などを想像するのと同時に、その心情も想像してみるのが良いと思います。
ヒントは、他の語り部が出してくれます。
八雲が晴香をいつから想い始めたのか? 自由に想像しながら読みましょう。
ライトノベルズについて
心霊探偵八雲から少し離れます。
私が子供の頃、ライトノベルズと呼ばれるジャンルの作品は、本屋の文庫コーナーの端っこに追いやられる形で、ひっそりと存在していました。
一般文芸の文庫たちや、漫画コーナーに比べると、おまけのような感じで陳列されていましたし、そっちの方に足を向けるのが恥ずかしいような気配も感じていました。
まだまだパソコンなどがない時代です。
通販で本を買うことは不可能な時代です。
欲しければ、本屋にいくしか選択肢はありませんでした。
勇気をもって、ライトノベルズや新書コーナーに向かっていた記憶があります。
子どもの頃は何もわからないですし、情報も入ってこなければ、誰も教えてくれなかったので、勝手に、こう思っていました。
一般文芸の作家になれなかった人が、妥協して書いているのがライトノベルズ。
それは大きな誤解だったんです。
多くのライトノベルズ作家さんたちが、その誤解を払拭してくれました。
ある時、こう思いました。
一般文芸では色んな誓約があって、型を破ることができないけれど、自分の思う通りに自由に作品を作りたいという作家さんが描くのが、ライトノベルズ。
一般文芸は本当に素晴らしいと思います。
これまで私が読んできた小説を数えてみても、一般文芸がライトノベルズを遥かに上回っています。
ですが、ライトノベルズには、一般文芸にも漫画にもない、独特の良さがあります。
心に響きやすく、心に残る時間がとても長いんです。
いつしか、一般文芸好きの方々にも、ライトノベルズは浸透するようになりました。
一般文芸作家さんでも、ライトノベルズを読んでいる方が増えたんだと思います。
今や、ライトノベルズの陳列棚は、一般文芸コーナーと同等の広さを確保している本屋さんも多くなってきました。
そうこうしているうちに、いつの間にか、ライト文芸というジャンルが生まれました。
ライト文芸コーナーも本屋さんの中にちゃんと確立されて、存在しています。
時代が生んだ新たな小説の形なんだと思います。
今は、なんでもトライしてみる時代なんだなと思います。
そして、やりたいことをやりたいと言ってもいい時代なんだなとも思います。
今後も、まだ想像できてないだけで、新たなジャンルの小説が出るのかもしれません。
例えば、漫画と小説が、今よりもっと融合した形の小説なんかが出てきたら、とても面白いなと思います。
そうなれば、もう、語り部が、何人いようとこだわることもありませんし、むしろジャンルとかカテゴリに分ける必要もなくなるのかもしれませんね。
『心霊探偵八雲』を文庫で読むポイント 添付ファイル
巻末に登場する「添付ファイル」というショートストーリーがあります。
これがなかなかに乙なんです。
ある意味本編より面白く、大事な要素が詰まっています。
心霊探偵八雲2の巻末に、神永先生があとがきで書かれているんですが、この添付ファイルは、文庫版の特典なのだそうです。
神永先生が添付ファイルを書く理由も、ぜひ、2巻のあとがきで確認してみてください。