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『SCIS 科学犯罪捜査班Ⅲ 天才科学者・最上友紀子の挑戦』中村啓(著)シリーズを読んで、科学とせめぎ合う倫理について考える時間ができました!③

映画・アニメ・漫画ベース

現代は、人が空想しうることはすべからく、科学の分野で、世界の誰かが実現しようと研究し、実際にいくつかの奇跡が科学的に、現実のものとなって実用化されている時代です。

本作は、これまでに映画やアニメなどで描かれてきたファンタジーを題材に、科学的に証明され実現された部分と、仮説が成り立っている事象と、近い将来現実に実現される可能性が高まって来ているテーマを大胆に組み合わせ、少々の跳躍を加え、バラエティー色も豊かに脚色されたファンタジー小説だと思います。

例えば、マトリックス(映画)、ターミネーター(映画)、バイオハザード(映画)、アバター(映画)などが、話のネタとして登場しますし、ドラえもん(アニメ)、PSYCHO-PASS(アニメ)、攻殻機動隊(アニメ)などの話題もでてきます。

難しいテーマを扱いながらも、読者に苦手意識を持たせないように、身近にある題材を取り入れているのは間違いありません。

一方で、専門知識については、しっかりとした解説があります。

また、科学とは真逆のスピリチュアルな解釈もふんだんに物語を彩っていますし、哲学的な考え方も出てきます。

そしてたまにですが、科学とは全く関係のない雑学が語られることもあり、様々な方向から本作を楽しむことができるようになっています。

やがて、完全なる科学社会が到来することは必須です。
人は、科学をどのように捉え、どのように扱うのか、考えなければならない時代が近づいてきました。
道徳や倫理を盾に、これまで先送りにしてきた問題を、科学が将来的に人類にどんな副作用をひき起こすのかも念頭に入れて、考え直さねばなりません。

今を生きる自分さえよければそれでいいのか、いや、それでは駄目だ。
2対極の気持ちが私の中に存在します。
私たちの子孫と、地球の未来を見つめ直すきっかけを、本作から与えられたように思います。


SCIS 科学犯罪捜査班Ⅲ 天才科学者・最上友紀子の挑戦

編集される生命
科学が一歩前進すると、必ず生命倫理の見地からの反対意見が叫ばれ、新たに生まれた科学技術の実用を、何度かは断念することになります。
(生命倫理とは、生物学と医学の見地から、生命に関する倫理的問題を扱う分野であり、遺伝子治療やクローンの是非も含まれる。)

ですが、科学者は何度断念したとしても、諦めるわけではありません。
何度も繰り返し、研究を重ね、改良も重ね、
同時に、世間に対する説得材料も増やして行きながら世間に対して訴え続けます。

生命倫理の根底にあるのは、「神の領域を犯してもいいのか?」という主張です。
神の領域とは、いったいどんな領域を差すのでしょうか?

道徳や倫理は、人が生きているその時代の中で、簡単には白黒をつけられない事柄に対して、曖昧な答えが、そのままで存在できること、とも捉えることができます。

つまり、説得できないから、道徳の問題だ、倫理の問題だ、あたりまえのことだ。
と言って済ませてしまうものでもあるように思います。

ですが、未来の人類にとって、その科学技術が及ぼす影響や危険性を、科学者が排除できるほどの説得材料を揃えたとき、

または、未来に及ぼす危険はそのまま残っていても、それ以上に人類に及ぼすメリットが上回ったとき、道徳と倫理は、あっさり負けてしまって、新しい科学技術の恩恵を人類は受けることになります。

それはもうわかってしまっているからです。
真冬にエアコンの無い生活なんて送れないし、真夏のクーラーを我慢することもできません。


地球に人類がいるせいで、もうとっくの昔に、地球は環境や生態系が破壊されているからです。

今さら、取り返しがつかないこともわかっています。
少しでも温暖化を大気汚染を抑制しようと叫ぶことも偽善にはなってしまいます。

ですが、やはり人にはそれぞれ譲れない道徳感と倫理感があります。
科学技術の恩恵を受けたいという願望と、それを許してしまうのは人類の傲慢だと思う気持ちがのせめぎ合いが、永遠に続いていくように思います。

人類は、科学に夢を託しながら、どこかで科学を嫌悪し、いつかはその科学技術を使う日がくる。
そのサイクルを繰り返す生き物なのでしょう。

無駄なあがきかもしれませんが、
私がこれまで生きてきた中で培われた道徳と倫理の中に存在する「神の領域」は、できれば、私が生きている間は、侵さないで欲しいなと祈るばかりです。

まだ一人ひとりができることは、きっとあると思います。
科学の何を選んで、何を捨てるのか。
今の時代に最大限予測できる最善の方法を選択できていると信じて、人類と地球の明日を支える礎になりたいなと思います。

ここからは、本巻で話されている最上博士のセリフから勝手に想像したんですが、、
博士は科学者です。
科学者としての探究心は止められません。
それが自分の中にある人としてのエゴであることも、きっとわかっているのでしょう。
だからこそ、誰よりも正しく科学を使う方法を選ぼうとする
地球が壊れる時間を先送りにしようとする。
最終的には、人類が破滅の道を選ばないように、道標となろうとしている
そんな風に感じました。

さらに興味深い問答があります。
81ページから87ページまでの祐一と、祐一の上司である島崎課長のやりとりです。
ものすごく端折って要約してみるとこういう結論になります。
人間のエゴが地球を壊しているのに、地球は人間のエゴで回っている。

そして人間のエゴはサガなのです。
そこに科学があったから、つい使ってしまうという哀しいサガなのです。
言い訳が尽きたときの方便ですけどね。

さて物語はですね、「ゲノム編集」という科学技術がテーマです。

任意の生物の細胞の核に入っている「全遺伝情報(ゲノム)」を、別種の生き物のゲノムの中に組み入れることを遺伝子組み換え=遺伝子操作と言います。

遺伝子操作については一般的なので、皆さん、ご存じかと思います。
品種改良された農作物や、人為的に交配させた畜産動物や犬や猫など、すでに身近なところに存在しています。

「ゲノム編集」は、それとは技術が異なります。
最上博士の説明がありますが、かなり難しいものでした。
完全には理解できませんでしたが、、

まず、ゲノムを構成しているのがDNAで、DNAの中に塩基と呼ばれる物質があるのだと思います。
皆さんは、DNAの塩基配列という言葉を耳にしたことがありますか?
らせん状にDNAが配列された図を目にしたことがありますか?
その塩基配列の一文字をピンポイントで狙って置き換える技術なのかな?
という風に理解しました。


違っているかもしれません。
44ページから48ページの博士の解説をよく読んでみてください。

蚊はあんなに小さいのに、人間にとっては大きな脅威なんです。
なぜ人の血を吸うのか、遺伝子のスイッチがどこにあるのかは、謎なのだそうです。
人間と共存しやすくするために、動植物の遺伝子を書き換えようとする。
どうしても人類基準でモノを考えてしまう。
哀しいサガです。

同じ夢を見るクローン
124ページから127ページに、最上博士によるクローンの詳細説明があります。
難しすぎて、前半部分しか理解できませんでした。。

クローンは、生殖行為なしで生み出された、遺伝的にまったく等しい個体のことだそうです。

受精卵を使って作る方法:
細胞分裂を始めた初期の胚を分割して作る。
人為的に一卵性多胎児を作ること。

体細胞を使って作る方法:
オリジナルの体細胞の核を、核を取り除いた未受精卵(受精しなかった卵)に移植し、代理母の子宮に移し、出産させる方法。

ここでやっと、本作シリーズ全体の謎に関わる事件が起こりました。
これ以前の話は、本話に繋がるエピソードだったのです。
そして、ここから先は、シリーズが始まった当初から抱えている事件の核心へと迫って行きます。

つまり、クローン技術が目指す先にある答えが、本作品の本当のテーマなのです。

ところで、本話では、厚生労働省の三枝が登場しました。
予想どおりのとぼけた感じの男でした。
そして、三枝には三枝の事情があったんです。
彼が味方か敵になるのか、今後に注目します。

移植される記憶
最後の話は、銀河鉄道999を彷彿とさせるものでした。
結局、哲郎は機械の体にはならないんですけどね。

機械の体になってしまうと、普通の人とは一緒に過ごすことができなくなります。
メーテルと哲郎は別々の道を行くんですからね。

人は何のために生きているのか?
「生有る者は死有り」という言葉があります。
本質的に考えて、生きとし生けるモノに、生きる意味なんてモノは、最初っから何も無いのかもしれません。
いつか死ぬために生きているだけなのかもしれません。

機械の体になってしまったら死ぬことができるのでしょうか?

死ぬことができないのだとしたら、生きることに意味なんてあるんでしょうか?
いつか死ぬとわかっているからこそ、今を大切に生きたいと切に願っている自分がいます。

韓国の『トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜』という有名なドラマがあります。
コン・ユさん演じる「トッケビ=キム・シン将軍」は不老不死なんです。
愛する人を失っても、生き続けなければならない苦しさが、観ている視聴者にも伝わり、涙を流さずにはいられない作品です。

何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なんです。
神の領域に足を踏み入れることも、ほどほどが寛容なのかもしれません。