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『SCIS 科学犯罪捜査班Ⅳ 天才科学者・最上友紀子の挑戦』中村啓(著)を読んで、時間という概念について改めて考えさせられました!④

時間についての考察

物語本編とは、直接関係していないのですが、「時間」についての話が出ましたので、考えてみたいと思います。

時間という概念については、個人的には色々な想いいれがあり、一口では語れません。
以前にも別の作品で、時間については書いたことがありますし、今後も、また別の作品でご紹介する予定です。

100ページで、祐一がいわゆる「ジャネーの法則」について説明しています。
ジャネーの法則とは、まず、50歳の人にとっての1年の長さは、人生の50分の1になります。一方、5歳の子にとっての1年の長さは、人生の5分の1に相当します。

よって、50歳の人にとっての10年間は、5歳の子にとっては1年でしかなく、50歳の人の10日間が、5歳の子の1日に当たるという計算になります。

ゆえに、年を取れば取るほどに、1年が短く感じられるという結論に達します。
こうして「今年も早かったね、1年経つのって本当に早いよね」が、大人の口癖の一つになったわけです。

たまに見かけるので、読書家の方であれば、「ジャネーの法則」については、聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。

ですが、最上博士の全く別の解釈については、今回、初めて知りました。

博士によると、世界を支配する「時間」というものは、存在しないのだそうです。
時間とは、人間が都合よく生み出した概念に過ぎないということらしいです。
105-107ページに説明があります。

速度・時間・距離の公式は、小学生で習います。
時間を基準にすると、「時間=距離÷速さ」になります。
公式は、例えばボールをある速度で投げたら、1秒後、2秒後、3秒後にどのくらいのスピードになって、どこへ行くということを教えてくれたりします。
ですが、この公式は、この世界を支配する絶対的な時間が流れているということを意味しているわけではないのだそうです。

相対性理論によってわかった時間の性質の1つに、巨大な物体の近くにいると重力が時空間を歪ませて時間が遅く進むという考え方があるそうです。
つまり、この世界のすべての場所で、時間の進み方が違うという結論になります。

また、量子の世界では時間の概念は失われるのだそうです。
世界は時間の流れで変化するのではなく、ある物事と別の物事の関係においてのみ変化するものなのだそうです。

世界に存在するのは、空間と物質の量子が絶えず相互作用を与えあっている基礎的な過程だけということになるそうです。

おそらく、科学の世界では、「時間」という概念が存在しないということを最上博士は言っているのだと思います。
方程式にも時間は登場しないとのことでした。

実際には、人は皆「時間」に支配されて生きていますし、「時間」が存在しなければ生活することもできないでしょう。

人を人たらしめている所以は、
人は自分の所属するコミュニティの法と秩序と時間に支配され、受け入れ、従って生きているということだと思うからです。


本能のままに生きればいいのだとしたら、自分以外は何も必要がなくなってしまいます。

自然界の動植物は時間など知る由もないでしょう。
ペットや動物園の動物のように、人間に関わっている一部の動物は、人の都合で決まりや時間で管理されているのでしょうけど、それはあくまで人のコミュニティで生活しているからそうなってしまうだけなのだと思います。

人は人らしくいるために、法と秩序と時間の中で、守られて生きてるのだと思います。

それに、もし「時間」が存在しなかったとしたら、人生はとても味気なく、ロマンがありません。
つまり、夢や希望も見いだせなくなるでしょう。

もう一つ気になることがあります。
"世界は時間の流れで変化するのではなく、ある物事と別の物事の関係においてのみ変化するもの"

世界の変化を感じることができるのは、人間だけだと思います。
そして確かに、人間が一人であれば、変化もそれこそ時間も何もかもが、意識外であって、その存在にすら気づかないでしょう。
気付いたとしても、どうでもよいことなのです。

人が最低でも2人はいないと、時間も世界も生きる意味も、それこそ自我も愛ですらも必要のないものです。

"人は一人では生きられない"というセリフは、心情の問題だけではなく、物理的にもそのままの意味を差しているように思います。

人は最低でも2人以上集まって、それぞれの時間の一部ずつを共有し合うことで、コミュニティを形成し、その中で法と秩序を明確化し、生活することができるのだと思います。

つまり、人が2人以上集まらなければ、時間は存在しなくなるとも言えます。
そして、ある物事と別の物事の関係においてのみ変化する世界も、人が1人の状態では変化自体が起こりません。

ある物事と別の物事は、ある人と別の人との関係が成立したときに、初めて物事の変化が成立し、物事の変化が必要な世界が来るのです。

時間があるかないかの問答を始めたら、堂々巡りに陥ってきました。

時間は概念でしかなく、科学的にとっては不要のものですが、科学を扱う人間にとっては重要な概念になります。

科学的に検証できないものが、イコール不要であるということでもありません。

そもそも、説明がつかない事象でも、それが便利であれば、人はそれを使います。
飛行機が飛ぶ原理が科学的に解明されてなくても、最上博士以外は、普通は飛行機に乗るものです。

最終的には、飛行機を使うのも使わないのも自由ですし、科学を使うのもう使わないのも自由ですし、時間が存在すると思うのも思わないのも、自由ということになります。

人は所詮、自分の都合で物事を考える生き物なのですから。
博士が「時間とは、人間が都合よく生み出した概念に過ぎない」と言っていましたが、そんなことを言ってしまったら、科学だってなんだって、人間の都合で生み出された学問でしかありません。

結局のところ、この世の事象のすべては、人間にとって、方便もしくは言い訳につかうための材料なのかもしれませんね。

ここから先は、どこかで聞きかじった話ですが、、
相対性理論の考察から「この世界のすべての場所で、時間の進み方が違う」という結論が出ると、最上博士が言っていました。

確かに、時間の進み方は、人によっても違いますし、同じ人のなかでも、朝と夜とでは違っているのかもしれませんし、とにかく速度を感じる感覚というものは、一定とは限りません。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、苦痛な時間は長く感じるものです。
これは、楽しい時間は時計を見ることなく過ごすため、時間間隔がなくなって早く感じるということですし、逆に苦痛な時間は、早く終わらないかな?今何時かな?と時間を気にする頻度が高いため、気にすれば気にするほどに長く苦痛に感じられるということになります。

あとは、身体の代謝や感情の状態によっても左右します。

またはドーパミンという神経伝達物質が関わっているとも言われていますよね。
足りないと時間知覚に影響がでるという話も聞いたことがあります。
ちなみに、ドーパミンは、楽しい、嬉しいなどと感じるときに量が増えるようです。

どれもこれも気分の問題ということでしょう。

気分といえば、色が時間の感覚を左右するという話もあります。

暖色系(赤や橙など)に囲まれた部屋では、時間の流れがゆっくりと感じるので、実際に過ごした時間が短時間でも長い時間滞在している感覚になります。
回転率を上げたい飲食店などで暖色系を用いることも多いそうです。

寒色系(青や緑など)に囲まれた空間では時間の流れが早く感じるので、実際に過ごしている時間より滞在時間が短く感じられます。
落ち着いて物事を考えたり集中したい場所には最適な色なのだそうです。

気分というのは、自分で上げようと思ってもなかなか、上げられるものではありませんよね。
そういう場合は、色に頼って、気分を上げたり下げたりするのもまた、時間を有意義に過ごすためのコツなのかなと思います。