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『SCIS 科学犯罪捜査班Ⅴ 天才科学者・最上友紀子の挑戦』中村啓(著)シリーズを読んで、集合的無意識について考えてみました!⑤

歯車の意思

人は何のために生まれてくるのか?
それはもちろん、いつか死ぬために生まれてくるのだという極論が存在するため、それ以上の意味を考えることが難しく、生きる意味を考えること自体、時間の無駄なんではないかと感じてしまう自分がいます。

宇宙も地球も、人の力でどうにかできる存在ではありません。
だから、人の想像の及ばぬ何かによって、地球も生命も生かされているのだとも思えるのです。

抗うことは無意味なのでしょうか。
いつか死ぬ日のために、精一杯生きようと思うことは無意味なのでしょうか。
抗うために科学を利用することは、神の領域を犯すのでしょうか。

生きるからには、この地球の歯車の1つとして、何かしらの礎になる必要はあるかもしれませんが、それすら本人のあずかり知らぬところでしか証明されないわけなんです。

そんな思いを胸に秘め、本作を今回再読しました。

想像することは可能性を秘めているわけですし、想像自体が無意味ではないような気もしてきました。
歯車にだって意思があるんです。

本作は間違いなく、自分の自我と、人生が何であるのかを考え直す時間を与えてくれる作品でした。

人の中には60兆個もの細胞があると言われています。
1つの細胞が、どうにかなったとしても、私の体に影響が出るほどの事態に発展することはないでしょう。
ですが、1つ1つの細胞が、ちょっとずつ変化したり、予定にない行動をとったらどうでしょうか?

おそらく、私の体に変化が訪れるはずです。

そうやって、微力な歯車が束になったら、世界を変える瞬間だってきっとある、と信じてみたいものです。


SCIS 科学犯罪捜査班Ⅴ 天才科学者・最上友紀子の挑戦

本巻は1冊通しで、「処女懐胎」がテーマのエピソードでした。
完全に、神の領域へと足を踏み入れる事件です。

全世界全人類の根幹を揺るがし、覆すことができる、最大の謎がテーマです。
そこに挑んでいくわけです。

まず自然界の処女懐胎についてです。
34-35ページに最上博士の説明があります。
生物学では、生殖行為を行わないでメスが妊娠し出産することを単為生殖、無性生殖というそうです。
無脊椎動物にはよくある生殖法らしいです。
ですが、生まれた子どものゲノムは親とは完全に一致しないため、半クローンの状態になるのだそうです。
哺乳類にはいませんが、鳥類・爬虫類・両生類にはいるようです。

さらに、36ページへと処女懐胎自体の説明が続きます。
普通に考えると、生命体が自分自身でクローンを作り出す無性生殖のほうが、効率的に遺伝子が子世代に伝達されます。
集団の半数になるメスしか、子を産めず、SEXに至るまでの労力(相手を見つけたり、奪い合う競争)も大変です。
人間の世界では不妊治療をしている方もいます。
動植物の世界では、SEX中に捕食者に襲われる危険もあります。
つまりSEXは欠陥だらけの生殖行為なんです。

であるのに、有性生殖(SEX)が、なぜ無性生殖より多い生殖方法なのかは、わかっていないようです。

いちお37ページで祐一が一説による説明をしてくれています。
オスとメスの遺伝子を半分ずつ受け継ぐことで、子供の遺伝子が親と微妙に異なることが、有性生殖の利点です。
子孫がみな、親のクローンだった場合、環境の変化や、感染症にかかるなどの急激な変化が生じた場合、全滅してしまうおそれがあります。

39ページでさらに最上博士が説明を追加しています。
哺乳類で処女懐胎がないのは、単為発生を防ぐためにゲノムインプリンティングというシステムが備わっているからです。
ゲノムインプリンティングは、子供の遺伝子に父親と母親のどちらに由来する遺伝子であるかが記憶される現象のことです。
その刷り込みがあるので、片親だと遺伝子が働かずに、個体が発生しない仕組みになっているのだそうです。

処女懐胎という事件が起こってしまったので、まずは、処女懐胎について本巻に記されている内容を紹介しました。
これ以上は事件の真相に多少、触れそうですので、一旦、口を閉じましょう。

それでは、本編についてです。
私たち人類誰もが、信じ続けている大いなる概念が崩れ去るような話を最上博士から聞きました。

ダーウィンの進化論についての博士の新たな見解です。

ダーウィンの進化論を信じ続け、それ以外の考えを排除することは許されないのかもしれません。
大昔、進化論を唱えた賢人たちが弾圧されたわけですけど、例えば地動説なんかも認めてもらうまでには、たくさんの犠牲と時間がかかったわけですけど、、そう考えていくと、
やはり、可能性がある限り、排除することは許されないのではないでしょうか。

仮説が生まれることに関しては、誰かが証明するための研究をするでしょうし、科学的に証明されたことに関しては、等しく科学が生み出した財産になるわけです。

科学は人を幸せにも不幸にもするということを肝に銘じて、人は文明を発展させていくしかないのでしょう。

さて、榊原茂吉が行った研究は、国つくりの神話を想起させます。
神体の一部から大地や海が生まれたり、他の神が生まれたりしますよね。
それを人間がやるとどうなるのかってことなんですけど、だいぶ気持ち悪い想像をしてしまいました。

そして亡くなった人を生き返らせることは、イザナギイザナミ神話を連想させます。
タブーを犯せば、取り返しのつかない事態を巻き起こすわけなんですけど、祐一の未来には何が待っているのか、亜美さんがどうなるのか、まだ展開が見えません。

考えると恐ろしいことですが、、
人類が進化した形が、神なのかもしれません。
そして科学は神をも作ることができるのかもしれませんよね。
科学こそが神の可能性もあります。

とりあえずですね、、
これまでに起こった事件は一通り、一件落着となりました。
いちお、すべての謎への回答が出そろったように思います。
(いや、でも、私の中では1つだけ、回答の無かった小さな謎が残っています。)
なんですが、何となく腑に落ちない気分が拭えないまま幕を閉じたことも確かです。

最後の最後に新たな問題が生じたような漠然とした不安を残しながら、次のステージに物語は進むようです。

集合的無意識について

本作は、もちろんサイエンスミステリーなのですが、実は、科学とは全く無関係に思われる「集合的無意識」という概念が、シリーズ全体を通しての裏テーマだったんです。

集合的無意識とは、カール・ユングが提唱した分析心理学の概念で、人間の無意識の深層に存在する、個人を越えた、集団や民族、人類の心に普遍的に存在すると考えられる構造領域のことを指します。

ユングは、フロイトの精神分析学では説明の付かない深層心理の力動を説明するため、この無意識領域のことを「集合的無意識」と名付け、提唱したとされています。

最上博士がシリーズ1冊目の55ページで、
「地球上にいる私たちは皆、集合的無意識のレベルで繋がっている」
と言っていました。

これ以後、物語の中にたびたび登場するのが「集合的無意識」という言葉と考え方になります。
もちろん、この概念がすべての謎を解く鍵でもありました。

謎を解く鍵なので、物語の中でどのような意味を持つ言葉なのかに触れることはできませんが、本作を読みながら、本作とは少し違うイメージを持ちましたので、そのイメージについてお話しようかと思います。

「集合的無意識」と呼ばれる概念が保存されている場所があるのだとしたら、それは地球の「核」の中なのではないのだろうか?と思いました。

人は自ら空を飛ぶことができません。
だから、飛行機に乗るなどして、一時的に重力の影響を受けない体験をしたとしても、生涯を通じて、重力に逆らうことはできません。
人間が使用するものも、すべて、重力の影響を受けずに永遠に存在することは、今のところ不可能かと思われます。

つまり、「集合的無意識」は「核」の中にあって、重力のように人類を縛っているものなのではないのか?と考えました。

もしかすると人類だけでもないのかもしれません。
この地球に存在する、生きとし生けるモノの記憶や経験のすべてを、保存している領域の可能性もあります。

つまり、地球の経験のすべてであり、地球の記憶なのです。
そして、生きとし生けるモノの細胞が、地球の記憶領域にアクセスすることができるのではないのだろうか?と思いました。

人間には他の動植物とは違って、発達した脳がありますから、細胞が司った地球の記憶を神経が伝達して脳に送り、疑似体験したように感じることができる。

そんな夢のような発想に辿り着きました。
残念ながら、自分で自由に好きな時に好きなことを取り出すことはできません。
でも、未知の世界や未知の体験を、私の体の奥深くでは知っているのかもしれない。
そう思うと、なんだかワクワクしてきます。

そして、私が経験した人生も、もしかしたら地球の記憶として「集合的無意識」の世界に取り込まれているのかもしれません。
そう思うと、ソワソワした気分にもなります。

何となくですが、自分に恥じない人生を生きていきたいなとか、思いました。