季節は四季から二季に?
今月が始まって、半分が終わたところですが、日本にお住いの方々は、全員こう思ったのではないでしょうか?
「秋」はどこへ行った?
先週、ほぼ1週間、在宅勤務をしておりました。
先々週は、会社に出勤したんですが、半袖でもOKな気候だったように思います。
先々週の感覚で服を選び、今週、会社に出勤したら、ものすごく寒くて、風邪をひきそうになりました。
若干、ひいてしまったような感じもします。
昨日はなんと、コートが必要になってしまいました。
風情も何もありません。
暑くて億劫だった遠出をしたり、寒くなると億劫になる掃除をしたりと、
過ごしやすい時期のうちに、やりたいと思っていたことが、全部、どうでも良くなってしまいました。
やる気とか、気力が、失せ始めてしまっています。
そんな時に、出会った絵本をご紹介します。
「秋」の存在は感じられなくても、「秋」はちゃんとあるんです。
絵本の世界に入って「秋」を感じてみましょう!
私にとっての「はる」
寒くて辛い冬は、はるが目を覚ますことでやわらいでいきます。
はるは、日本人にとって、恵みの時間でもあるのです。
そしてはるは、出会いの季節でもあります。
人と人が、新しく出会うということもありますし、
例えば、何か新しいことを始めようかなと思い、新しく始める何かに出会える季節でもあります。
更に、新しい年度が始まる影響で、人事異動や引っ越しなど、人々が大きく動いていく季節でもあります。
ですが、はるは悲しい季節でもあります。
出会いがあるということは、別れもあるからです。
別れるから出会う、何かを終わりにするから、新しいことを始める。
そんな季節です。
だから、春は身辺整理をする時間でもあるのです。
例えば、小学生から中学生になって、小学校時代の友達とばかり遊んでいたら、いつまでも中学にはなじめず、新しい友達ができません。
つまり、上の学年に上がる度に、連れていく友達と、おいていく友達を選択することになります。
そうやって子供は、大人に1歩1歩近づいていくのだと思います。
例えば、本棚です。
本好きは、本を捨てることができない習性を持つ人が多いでしょう。
本棚がいっぱいになってしまうと、新しい本と本屋で出会ったとしても、買うことを躊躇してしまう場合があります。
読み終わった後の収納場所を気にしてしまうからです。
かく言う私も、本を捨てることはできません。
売る場合でも、かなりの勇気がいります。
いつかまた読む日がくると思うからです。
そして家族に怒られる日々を送っています。
または、思い入れのある服は、捨てられません。
今はもう着ていなくても、またいつか着る日がくると、どこかで信じているからです。
でもたぶん、そんな日は来ないだろうということも、頭のどこかではわかっています。
大人になっても、子供のような葛藤を繰り返してしまう自分。
いえ、子供より達が悪いのかもしれません。
子供は、捨てることや新たに拾うことに、いちいち、言い訳したり理由をつけたりしません。
大人はどうでしょう。
何でも理由を付けて、何でも肯定化しようとして、こだわるところには、ひどく頑固になってしまうものです。
子供は欲を持ちませんが、大人はいつの間にか欲張りに変貌しています。
そう、一度掴んだものを手放す勇気がないからです。
子供の頃は、まだ取り戻せると信じて疑わなかった希望がなくなり、
もう二度と手に入らないのではないか?という心配が先に立ちます。
だからはるは、手放す勇気を思い出す時間でもあるのです。
それは、子供であろうと、大人であろうと、関係ありません。
みんなに平等に配られる時間です。
まずは、何かしらの新しい1歩を踏み出すために、自分のなかにたまっている、思い出すことも忘れてしまっていた何かから、順番に、手放さなしていくことが大事なのだと思います。
私にとっては「あき」が主役
はるとあきは、とても似ています。
双子のような存在です。
どちらが先で、どちらが後なのかと聞かれると、はるが先という印象を持ってしまいます。
主役がどっちかと聞かれると、印象的には、はるが主役のような気分になります。
あきは、はるの真似をしようとして、少し失敗したような、はるのおまけのような存在にも見えてしまいます。
ですが、なぜか私は「あき」が大好きなんです。
どうして好きなのか、理由を考えてみたんですが、よくわかりません。
強いて言うと、はるのように、何かを思案することがないからなのかもしれません。
昔、同じ職場で働いていた上司(50代後半の男性)の方が言っていたんですが、その方が、ある日突然、ふと思いついたことを奥さんに聞いてみたんだそうです。
「わたしは、君を幸せにすることができたのかな」と。
結婚記念日とか、子供の誕生日とか、奥さんの誕生日とか、何か特別の祝い事のある日では全くなく、何の変哲もない、ただの日だったそうです。
奥様は、こう答えたそうです。
「今まで、幸せかどうかなんてこと、一度も考えたことがなかった。」と。
そして、
「だから、考えたことがないってことが、幸せだってことなのかも」と。
なんて素敵なご夫婦なのだろうかと、感動しました。
そして似たモノ夫婦なのかなとも思いました。
当たり前のように、いつもあって、とくに何をするでもなく過ごす時間、それが幸せな時間なのかもしれません。
あきは、ただぼんやり、通過するだけの季節です。
その何をするでもなく、気が付けば終わっている優しい時間。
それがあきなのかなと思います。
何かを主張するにしても、控えめで、存在すら忘れがちな季節です。
物理的にも心情的にも、辛いと思うことのない、平凡な季節です。
ですが、意味がないところに、意味がある。
そんなあきは、私には、必要な季節なんだと思います。
はるとあき
作者:斉藤 倫 うきまる
イラスト:吉田尚令
出版社:小学館
発売日:2019/5/17
サイズ:19 x 0.9 x 23.6 cm
はるが主役のお話です。
はるは目覚めたとき、ふゆに会いに行きます。
なつは目覚めると、はるに会いに来ます。
時折、ふゆもなつも、あきの話をしますが、はるはあきに会ったことがありません。
あきに興味をもったはるが、あきに手紙を書き、なつとふゆに頼んで渡してもらい、文通するというお話です。
はるとあきは、まるで鏡のように、考え方や感じ方が一緒なんです。
会えなくても、通じ合っている、はるとあきの優しさがじんわり伝わってきます。
そして永遠に会うことが敵わないという、切なさも感じます。
そして会えないから、想いを募らせるという切なさが胸に静かに染みてきます。
会えないからこそ、話せることもあるのかもしれません。
同じ木を見上げても、はるとあきでは、花や葉の色付きが全然違います。
違うものを見ても、同じ感覚になり、同じものを見ると、別の感慨にふける。
着眼点が素敵な絵本だと思います。