kei-bookcolorの文庫日和

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『後宮の検屍女官2』小野はるか(著)のサブテーマは「すべては愛のため」でした。

すべては愛のため

後宮という魔の巣窟は、誰一人として幸せなんだと思える人はいないようにも思います。

寵妃は、いつ、帝からの寵愛が陰るかわからず、怯える日々を送りますし、寵愛があればあるほど、妬まれ、毒殺される危険も増し、または何かの陰謀に陥れられる可能性も高くなります。

帝だって、いつ誰に寝首をかかれるかわからず、安眠できる日はないでしょう。
それに、帝という職業として、寵愛の序列を決めなければならず、自分の好みだけで女性を選べるわけでもありません。

そもそも後宮にあがる女性は、美人ぞろいでしょうから、姿かたちで優劣をつけるのは逆に難しいのかもしれません。

寵愛を得ることができなくても、後宮に上がったからには、自分の意思で下がることのできない女性たちが、大半を占めるわけですが、、

死ぬまで使役されて過ごすもの。
人間関係が辛くても、耐えるしかないもの。
なにか、ちょっとした失敗でも、むち打ちになるかもしれませんから、色んなことにびくびくしなければなりませんし、単純に飢えや寒さで死に怯えるものもいるかもしれません。

時代的に、一般人の死を軽んじていた時代でもあります。

今回の話は、始まりが誰だったのかと言われると、のちの巻で判明する事実もあるため、一概には判断できませんが、、

やはり、帝から寵愛を受けていた妃が、寵愛を完全に失ったことが、大きく影響していることは確実かと思います。

持っていたものを失った場合の方が、人は立ち直れないものです。
何も持たず、何も望まず生きているほうが、幸せな場合もあります。
人には矜持がありますから、なおさらです。

ある意味、宝くじが当たった人が破産するのと同じ原理です。
失ったものが大きいほど、喪失感も大きいのです。

帝から愛されていると思っていた妃は、帝からの愛が、本物の愛ではなかったことに気付き、おそらく、自分自身の気持ちも、帝にはなかったと思ってしまったのでしょう。

だから、本当の愛を求めるようになってしまった憐れな女性に端を発した事件でした。

私からすると、この女性は、自分からは誰も愛せないのに、愛ばかりを欲しがる寂しい女性だったのではないかとも思います。

そして後宮には、女性の数に負けず劣らずの宦官が存在します。

本作に登場する宦官たちは、後宮の外では生きられず、体の一部を失った喪失感を死ぬまで持ち、人として不完全な自分を、どこかで恥じて、それでも誰よりも長く生きぬこうと必死にもがいている。
そんな風に思えます。

普段は、警戒心を持ち、身構えるすべを持っていますが、やはり人ですから、一瞬のすきを突かれると、簡単にほだされてしまいます。

女性であれば、裏があるかもと考える可能性がありますが、もとは男性ですから、女性よりは単純に物事を判断するでしょうし、見たことを見たまま、聞いたことを聞いたままに捕らえる可能性も高いように思います。

ある意味、女性よりは素直な気もするんです。

それに自分から何かを求めることは無意味だともわかっているのでしょう。
何を望んでも、手に届くはずはないからです。
誰かが、ちょっとしたチャンスをもたらしてくれない限り、ただ息をして、使役される日々が続き、人としても扱われていないような、そんな風にも見えます。

だからどんなチャンスでも、一瞬でも輝けるなら、自分の人生に価値を見出せると思ってしまうことは仕方がなかったのかもしれません。

そして、悲劇が起こりました。
宦官という体になってしまったからこそ、より深い愛を求める悲しい悲劇が起こってしまったのではないかとも思います。

宦官であっても、女性を愛する気持ちを捨てきれず、女性にすがって生きようとしてしまったもの。

宦官という第3の性を持ち、だから同じく第3の性を持った相手を選ぼうとしたもの。

どちらも心情的には複雑で、一概に言葉では表せない、多面的な気持ちを持ち合わせていたようにも思います。

宦官であるという事実から、誰かを愛しても、最後には悲恋に終わるとわかっていたのかもしれません。
それでも好きになってしまったし、どんな形でも、それが一時の幸せだとわかっていても、何もないよりは幸せだったのかもしれません。

愛の言葉を交わしても、互いが同じ気持ちだったとは、限りません。
それぞれに違った形の愛があったのかもしれません。

時に激しく、時に静かに、その身に秘めた愛を、人はみな持っているのかもしれませんね。

真実を知らずに死んでしまった方もいました。
愛とは人を生かすことも殺すこともできるものなのです。

それぞれの中に存在する真実を見るけることは、非常に難しいものなのです。


後宮の検屍女官2

前作の終わりで、延明が後宮から出ていったように見えましたが、結局のところ、ちゃんと後宮に帰ってきました。
題名に「後宮」とついてますから。
そう簡単に、後宮と無関係になることはできないのです。
それに、後宮のほうが、華やかでドラマチックですしね。

さて、桃花と延明ですが、事件を通して、意図的に会うようになってきました。
桃花は、梅捷妤の侍女ではなく、織室という妃嬪がいない職場に転属になりましたから、これまでより、抜け出しやすく、検屍の時間も取れやすいのでしょう。
これが定番になって行くように思います。

残念ながらイチャイチャする感じはありません。
ですが、桃花と延明が一緒にいるのは、自然になってきたように感じました。
特に検屍の時は、息の合った相棒のようにも見えます。

ところで、桃花は、天然のタラシなのかもしれません。
もちろん最初の被害者は延明です。
なにしろ、女官をタラシ込むのが任務だった延明を、逆にタラシこんだわけですから。
他の宦官も、ころっと行ってしまうのは仕方ありません。

桃花は本質的に優しいのです。
延明の手を握って、延明を慰めたり、諭したりするときの桃花は、ちょっと女神のようにも見えます。

たぶん延明もそう思っているはずです。
慈愛が深い女性なのです。
そしてそれが天然なのです。

延明を邪険にしているように見えるのに、引き留めているようにも見える。
そして毎回、気持ちを翻弄されている延明を楽しく見るのが、読者の特権でもあります。

延明は、自分が宦官という身であることをよくよくわかっていますから、自分から桃花に触れることはたぶんできないのです。
ですが、桃花は、躊躇なく、どんな時も、どんな場面でも、延明に必要なタイミングで延明の手に自分の手を添えるのです。

惚れない方がおかしいのです。
今のところ、桃花が誰に対しても、手を握っているという感じでもないので、読者としては、延明が特別なのだと信じたいところです。

さて今回は、貴妃どうしの小競り合いは、出てきませんでしたが、次回以降は、女性同士の様々な争いごとや、後宮の勢力図なんかの変動など、何かしら起こりそうな予感を残しつつ、火災の真相も持ち越しになる感じで幕を引きました。

事件は単体で起こっていますが、少しずつどこかつながっています。
そのつながり方が、どんな感じで転がっていくのか、今後も楽しみです。