kei-bookcolorの文庫日和

文庫の良さを一緒に味わいましょう!

【完璧を目指す人の絵本】『ぼくを探しに』シェル・シルヴァスタイン(著)をご紹介します!

完璧な人の定義

例えば、コップにジュースをなみなみとついでしまったとします。
飲もうと思って、コップを傾けると、口に入る前に、少しこぼれます。
コップを傾けないようにしようとストローを刺したとしても、ストローの分の体積で、やはり少しこぼれます。

少しもこぼさないように飲もうとすると、不格好で、行儀の悪そうな飲み方になってしまいます。

完璧な人と言うのは、こういうことなのではないのかなと思うんです。
つまり、スキがなくて、どこからも攻められない。
攻めこんだとしても、こちらが不格好になってしまうから、付き合い辛い。

結局は、コップの8割くらいにジュースが入っている状態が、ちょうどいいのだと思います。
ちょうどいい分量にこぼさないと、飲めないからです。

だから、100%を目指してはいけないのかもしれません。
常に80%くらいを目指しているのがちょうどいいのかもしれません。

100%完璧に準備をすると、その完璧な準備を崩したくなくなります。
そして、予想できなかったハプニングが訪れたときに、今の自分を崩せなくなるんです。

ただ茫然と立ち尽くすしかなく、身動きが取れなくなり、時間だけがどんどん経過していく。
気が付くと何もかもが終わってしまっていて、取り返しがつかなくなっている。
そんな事態を招きそうな感じがするんです。

それに、100%完璧な人間が、みんなから愛されたり必要とされたりするかと言うと、どうもそうではないように思います。
どちらかと言うと、煙たがられてしまいそうな感じがします。
出る杭は打たれるとも言います。

何事もほどほどがちょうどいいのかもしれません。

ほどほどとは、都合の良い表現ですよね。
ほどほどの定義や程度は、人によって違いますから。
ほどほどほど、難しい加減はないようにも思えます。

本当の意味で完璧を目指したいのなら、度を越さず、ちょうどよい加減に生きてくことが必要不可欠です。

加減と言うのは、分岐点が来た時に、都度臨機応変に調整する必要があります。
つまり、世渡り上手に生きることが、完璧への近道になるのだなと思います。


ぼくを探しに

作者:シェル・シルヴァスタイン
訳:倉橋由美子
出版社:講談社
発売日:1979/4/12
サイズ:18.8 x 1.7 x 22 cm

なぜかいつも、何かが欠けているように感じます。
だから、何かが何か、わからないけど、探しに行きます。

探しているけど、探していることをたまに忘れて、人生を楽しみます。

人生には、晴れの日もあれば、雨の日もあります。
凍えそうになる日もあれば、心がぽかぽかする日もあります。

何かが欠けていると思うから、立ち止まることも多くなります。

自分の身近にあるささやかな幸せに気づきます。
何かに夢中になって、愉快になることもあります。

何かを探す旅は、自由で、果てしなく広く、どこまででも行けそうです。
どんなに困難な道でも、逆に、ゆるやかで楽ちんな道でも、夢中になることができます。

そんなある日、その何かが見つかります。
間違いなく、欠けていた何かでした。
でもそれは、欲しかったものとは少し違っていたんです。

だから手放すことにしました。

また別の欠けらが現れました。
小さい欠けら、大きい欠けら、自分を突き抜けるほど鋭い欠けら。
そして自分には当てはまらない欠けら。

ぴったりの何かを見つけたと思っても、すぐ、無くしてしまいます。
無くさないように頑張ったら今度は、壊れてしまいました。

それでもめげずに、また探しに行きます。

時には無茶をしたり、失敗をしたり、壁にぶつかったりしながら。
自分を完璧にするための欠けらを探しに行きます。

とうとうある日、完璧な欠けらを見つけました。
はめてみると、しっくりくるんです。

うれしくなって駆け出します。
駆け出すと止まらなくなってしまいました。

これまでのように、立ち止まって人生を楽しむことを忘れてしまったかのように、完璧なまま、走り続けます。

自分は完璧になったのだから、これからは、これまで以上に何でもできるはず。
そう信じて、走り続けます。

ですが、ある時、ふと気が付きます。
完璧になると、何もすることがなくて、結局、何もせずに終わっているということにです。

だから、完璧な欠けらを置いていくことにしました。
またゆっくり旅を続けることにしました。
欠けらを探す旅にです。