ダイヤル回して手を止めた
私の子供の頃、電話機と言えば、丸いダイヤルをジーコジーコと、いちいち回して番号を選択する方式のものでした。
今のように、気軽に世界中に誰にでも連絡が取れる時代ではありません。
ダイヤルを回して、好きな人に電話をかける行為は、それはそれは緊張するものでした。
ダイヤルを回している途中で、
電話をすること自体を何度もためらって、
何度も途中でやめてしまったり、
やっぱりと思って、再度ダイヤルを回したり、
を繰り返します。
そういった心の中のもどかしい感情を表しているのが、
名曲『恋におちて -Fall in love-』の歌詞にある「ダイヤル回して手を止めた」という表現なのだと思います。
ダイヤルを回している時間が長いため、心に考える時間が出来てしまいます。
時間があると、
今、相手に電話をかけても迷惑はかからないだろうか?
自分は、今、何を話そうとしていたのだったかな?
など考えてしまうので、途中で電話をかけることを何度も中止してしまうんです。
今や、固定器のプッシュ電話ですら、ほぼ使用しない時代です。
1人1台は、携帯電話を持っています。
ダイヤル式の電話は存在自体が、時代から拒否されてしまったように感じます。
回し間違いも多かったですし、時間もかかるし、不便な電話機でしたしね。
便利な世の中が来たものだと思います。
ですが、便利すぎるのも考えようによっては、抑揚のない毎日にしてしまっているようにも感じられます。
ダイヤルが醸し出す意味と歴史は、それなりに厚みのあるものだったようにも思えるからです。
現代の若者たちは、「ダイヤル」を知りませんから、せっかくの名曲なのに、残念ながら、心にイマイチ、響かない時代にもなってしまいました。
そうやって、死語が増えていくんです。
そして、時計もまた、同じ末路を辿ろうとしています。
備え付けの時計は必要がなくなる時代となりました。
人は常に携帯電話を見ながら生活をしています。
つまり、携帯電話で時間も日付も、即座に確認できてしまいます。
丸い時計ではなく、デジタル時計が主流となる時代が到来しました。
だから、思うんです。
「時計周り」「反時計回り」って何?
と思う世代が誕生する時代になったのだなと。
「時計周り」が私の生きている間に、死語になってしまうのかもしれません。
時代が進化して、人がより良い暮らしを求めるようになるのは、すばらしいことです。
ですがそれに呼応するように、趣のある言葉が1つまた1つと、失われていきます。
なぜかそこに、寂しさを感じてしまうのです。
思い出のとき修理します3 空からの時報
1話目は、秀司の高校の同級生たちのお話です。
偏見との闘いについてがテーマだったように思います。
つい人を見た目の恰好で判断してしまいがちですよね。
秀司のように、その人の本質をとらえることのできる人物になりたいものです。
先入観は時に不幸を生みます。
それと人には意地とかプライドとかというものがあります。
なかなか間違いを認めるのは難しいものです。
大人になれば大人になるほどに。
たまに立ち止まって自分の行いを振り返らないといけませんよね。
2話目3話目は、明里のライバル?というか、明里に意地悪する女性が登場します。
男性の前では態度や発言が変わるんです。
読んでいてもちょっと腹立たしい女性でした。
そんな女性にも優しくしてしまうのが明里です。
明里ってどこまでお人よしなの?と思っていたら、ここぞという時には、戦う場面もあり、秀司もそうでしょうけど、読んでいるこちら側も、明里が可愛いと思ってしまいました。
結局は、その女性も明里と秀司に助けられ、思い出を修復する道を選ぶことが出来たんだと思います。
この女性の存在が気がかりで、すっかり忘れるところでしたが、2話では明里の義父が登場します。
なかなか素敵なお父さんでした。
明里って本人が気づいてないだけで愛されているんですね、たくさんの人たちから。
明里が勝手に距離を置いてしまっても、変わらず愛してくれている。
なんて素敵な家族に囲まれているんだろうとうらやましく思いました。
4話目は明里の実父が登場しました。
生きているという話が出た時から、なんとなく登場するのではないかな?と思っていました。
実父はバカが付くほどのお人よしで、明里は間違いなく父親似なんだなと思いました。
損な人生を自ら選んで生きているようなお父さんでしたね。
たとえ可愛い娘に二度と会えなくなったとしても、他人のために生きてしまう無鉄砲さがちょっと素敵に見えました。
瀧井朝世さんの解説について:
生きていると常に、色んな問題に直面します。
ですが、人は得てして、その問題に向き合わず、やり過ごそうとしてしまう生き物でもあります。
だから胸の中にたくさんの傷を抱えたまま生きているといっても過言ではないのかもしれません。
物事に直面している時は、その場から逃げることしか考えないのだから仕方がないのかもしれません。
いつか思い出に変わった瞬間に後悔が始まるような気もします。
そしてその過去は消すことも変えることももはやできません。
できることと言えば、思い出を共有した人と話をし、思い出の形や捉え方を変えることだけなのかもしれませんよね。
思い出のとき修理します4 永久時計を胸に
明里は、案外もてるのかもしれません。
しっかりしてても、適度にぬけていて、ものすごくお人よしで、存在感があって、何となく話しかけたくなるし、何となく気になるし、何となく好意を持ってしまうんですよね、きっと。
会えない時間もそこに愛がなくなってしまうわけではない。
会えないからこそ育つ関係もあるのかもしれません。
一緒に時を刻むということは、常に一緒にいるという意味とは違うように思います。
一緒にいたって離れてしまうこともあるからです。
さて本巻では、結婚に悩むとあるカップルが登場しました。
二人は指輪の代わりに、ペアウォッチを身に付けることになりそうです。
それも昼と夜のそれぞれの時間を知らせる時計です。
互いを互いの人生で補える存在になれるための時計です。
ロマンチックです。
私も指輪より時計のほうがいいような気がしてきました。
そのカップルの女性の方の両親のお話も素敵でした。
どちらかというと、両親のとった行動のほうが、明里と秀司の今後に役立ちそうな気がします。
一緒に夢を追い続けるために、別々の道を行くという選択もあったのだなと思いました。
愛の形も幸せの形も人それぞれだし、夫婦十色なのかもしれません。
同じ家族も同じ恋愛も、たぶん存在しないんです。
2話目では、長年連れ添った夫婦が、最後まで互いに隠し事をしていたというお話でした。
その隠し事は結局はバレてしまっていたんですが、家族になっても長く同じ時を過ごしても、言えないことってあるんですね、家族だからこそ言えないこともあるのかもしれません。
かくいう私も、家族だからと言って何でも打ち明けるということはないので、そういうものかなとも思っていました。
でも、何となく伝わっている可能性はあります。
それが家族というものなのかもしれません。
会社や世間で会う人とは違います。
同じ家の中の自分の空間にいる人なんです。
外の人とは明らかに違う何かがそこにあるはずです。
いつか時が解決するという言葉があります。
でも実際は時は何もしてくれないんです。
言い訳にすぎません。
解決するのはその人自身です。
思い出を修理できるかどうかも、その人が過去の自分と向き合えるかどうかで決まるのではないでしょうか。
自分で自分の中を覗き見ることほど難しいことはないですよね。
意地もプライドもあります。
けど行動を起こさない限り先には進めないということです。
本巻が最終巻でしたが、全4巻の中から、様々な勇気をもらったように思います。
神田法子さんの解説について:
かつて人は容易に連絡が取れる手段を持ち合わせておらず、だからこそ、早くわかりやすく、どんなことでも即座に伝わるという手段を熱望したのかもしれません。
そんな要求を完全に叶えることができる世の中が到来した今、今だからこそ新たな問題点も勃発しているように思われます。
いつの時代も人と繋がっていたい、遠くにいても近くにいると感じたい、そう願うのが人ですよね。
人は一人では生きられない。
寂しい生き物です。
身近になりすぎたコミュニケーションは、かつての価値が暴落しているようにも感じます。
人との共有の形、思い出の残し方は、時代とともに完全に変化を遂げました。
そんな現代において、一昔前にタイムスリップしたような本作は、私の心にざわめきを起しました。
時というモノ、これまでの人生、これからの行く道を私なりに考え直そうというきっかけをもらったようにも思います。