『ブラックペアン』には続きがある
『ブラックペアン』は、もう5年くらい前になりますが、二宮和也さん主演でドラマになりました。
こちらは先にドラマを見てしまっていたんですが、その後、原作を知人からもらい受けまして、、お恥ずかしいのですが、続きがあるということを知りました。
続きと言っても、主役が交代しますので、ブラックペアンから独立したスピンオフ作品といってもいいのかもしれません。
いや、どちらかというとブラックペアンがスピンオフなのかもしれません。
個人的には、ブラックペアンより、その後に続く2冊のほうが断然、おすすめです!
ブラックペアンで二宮さんが演じた渡海先生は、原作でもカッコいいと思います。
ですが、渡海先生よりももっと素敵な天城先生が登場するんです。
天城先生のカッコよさと、医者としての凄さは、渡海先生のそれよりも確実に上回っています。
ブラックペアンで満足している場合ではなかったんです。
その後に続く2冊の方こそ、本当の意味で知らなければならないストーリーだったのだと思います。
ブラックペアン1988
こちらはすでにドラマを見てしまっているので、結末はドラマの大筋と同じであろうと思いながら読んでいました。
色々と予測はついていました。
ドラマの方が登場人物も多数ですし、キャストも豪華でしたし、ドラマチックで壮大なストーリーでした。
でも、小説には小説であるという良さがあります。
ドラマほどの複雑さはなく、ブラックペアンに向かってストレートに話が展開していく。
読みやすくて、わかりやすい、スマートなお話でした。
みんなそれなりに野心もあり、性格が悪くて腹黒い医師集団ではあるんですが、最終的には医師であるという誇りとプライドを忘れず、人の命を救う道を選択するわけです。
思い思いに自分の保身だけを考えていたとしても、患者を思う気持ちは一緒なんですね。
犬猿の仲だろうが、遺恨があろうが、最後にはそんなものは関係なくなるんですよね。
患者を救わない限り、その先は何もないわけです。
患者の命を救って初めて、その先の道へと続くドアを開けることができるわけですからね。
そこは佐伯教授でも1年目の世良君でも全く同じ方向を見ているはずです。
人はしばしば、行動を起こす時に、その理由に意味を持たせようとする。
同義付けが必要な生き物です。
意味もなく行動することは許されないと思いがちです。
でも、その不必要な言い訳をやめてシンプルにどうしたいかだけを、結論だけを考えて行動することができたなら、悔やむこともなく正しい行動が取れたと、胸を張って歩いていくことができるというのに、、
人は複雑な生き物なんですね。
そして一番大事なことは、人は、それぞれがそれぞれの立場にあった責任を負わなければならないということです。
責任を取る覚悟のもとに生きなければなりませんよね。
ブレイズメス1990
本作の目玉は何と言っても「天城」先生です。
佐伯教授も高階先生も霞んでしまいましたし、そのうち出てくるんじゃないかと心待ちにしていた渡海先生の存在も忘れ去るほどに、天城先生がかっこいい!
私の中の天城先生は超絶イケメンです。
天城先生の独壇場で話が進んでいきます。
四面楚歌の中を颯爽と闊歩していく姿は圧巻です。
天が天城先生の味方をしているかのようでもありました。
この世に二人といない鬼才です。
それゆえに、すべてを敵に回してしまうサガからは逃れられません。
敵が味方に、味方が敵にと、刻々と状勢が移り変わります。
その危うさがまた魅力的だし、自らを危険に晒す行為が、読んでいるこちら側をハラハラさせ、失敗したらどうしようかと心配しっぱなしでした。
そしてもちろん世良君を忘れてはいけません。
持ち前の強運と、人から愛されやすい魅力だけを武器に、必死で豪雨の中を走っているような世良君が、痛々しくて、これまた行く末が心配です。
世良君がちょっとづつ成長していくのはうれしいのですが、だんだん薄汚れた大人に染まっていくんではないかと、不安でもあります。
いつまでも素直なサッカー少年でいて欲しいです!
誰かに引かれた道の上を歩いていて、大人たちの権力闘争のとばっちりにあい、自分の意に沿わない方向に進まされているはずの世良君ですが、いつしかそんなそれた道をも自分の道に変えてしまうのが世良君の良さでもあります。
結局は望む方角へ向かっているようにも見えますし、権力闘争や板挟みに合って、不意にどこかに飛ばされそうな危うさも感じます。
天城先生を守って欲しいし、天城先生に守られてすくすくと成長して欲しいとも思います。
とにかく天城先生の登場によって、佐伯家門の勢力図は一気に覆されました。
佐伯先生がどこに向かってい行こうとしているのか?
更に分からなくなって来ました。
スリジエセンター1991
天城神話が崩れ去っていく予感を感じながら、読み進めることになります。
世良君が初めっから不安がっているから、何か良くないことが起こるんだろうと思わずにはいられません。
前作が順調だったからなおさら、天城先生が心配です。
そもそもスリジエセンターは夢のような病院です。
そんな病院が実現するわけないと、読む側も思いながら読んでしまうでしょう。
天城先生はチェス盤の駒を眺めるのが好きなようですが、自分から駒を動かす感じではないんですね、動いた駒を眺めて楽しんでいるだけのようです。
途中から両陣営の駒が入り乱れて、収拾がつかない方向へと向かっていくような、破滅的な感覚に襲われます。
前作とは違ったハラハラ感が待ち受けています。
天城先生の破滅は見たくありません。
見たくないと願えば願うほど、天城先生が追い込まれていくことを予感し、それが現実になっていくように思えました。
読者は世良君の気分で読み進んで行くんだと思います。
世良君がプラス思考に考えれば、きっと天城先生は大丈夫なんです。
でも世良君は常に実現できないことを口にしているんです。
自分でもそうはならないとわかっていて口にしているんです。
そして、肝心な時にドジを踏んで、それも天城先生の痛手になってしまうんです。
でも天城先生は、それでも世良君が好きなんだと思います。
最終的には両陣営の駒がバラバラになって、1人また1人と去っていくような、気が付いたら味方がどこにもいない状態になり、1人、ポツンと敵陣に取り残されているような、そんな寂しい布陣が待ち受けている感じです。
そしてこの作品で、渡海先生の申し子と、天城先生の申し子が誕生したんだなと思いました。