表紙について
上巻は、新宿のビル群と、新宿から近いのに、新宿とはだいぶかけ離れた地域にある古い家と、ガーゴイルが鎮座する塔が、見事にマッチしてそびえたつ表紙です。
月だけが何もかも承知しているかのように、輝いています。
混沌とした空が、暗雲を物語っているようです。
中巻は、上巻から少しズレた位置を表している表紙です。
右の空が赤く、左の空はどんよりしています。
何かの命運を分けたような印象を受けました。
下巻は、また少し右にヅレたような表紙です。
とうとう審判の時がきたという雰囲気があります。
悲嘆の門 上
プロローグでは、幼い女の子が目撃していた怪物について描かれていました。
様々な種類の事件がこれから起こっていくわけですが、それらは全部、このプロローグに戻ってくるに違いないという予感が胸をくすぶります。
さて、主人公はおそらく、三島孝太郎という19歳の男子大学生になるのでしょう。
両親と中学2年の妹がいる4人家族で、いたって普通の家庭で育った、普通の青年です。
毎日退屈な大学生活を送っていた孝太郎ですが、ひょんなことからサイバー・パトロールの会社でアルバイトを始めます。
アルバイトを始めたことで、今までは対岸の火事でしかなかった犯罪や殺人事件が、すっかり身近なものとなり、調査をしていく過程で、事件の渦中にその身をさらしていくことになるようです。
孝太郎の近所に住む中学1年生の女の子が巻き込まれた、学校裏サイトでのバッシング事件。
日本中で起こっている猟奇殺人事件。
ホームレス失踪事件。
冒頭で少女が見た怪物の奇妙な異変。
アルバイト仲間の青年失踪。
解かなければならない謎は、とりあえず上記でしょうか。
ですが、おそらくすでに多くの複線が物語中に散りばめられていたはずです。
例えば、孝太郎をアルバイトに誘った先輩の真岐、
アルバイト先の会社「クマー」の女社長:山科、
行方不明の青年:森永、
クマーで働くパトロール員たち、
彼らがもしかしたら事件の何かに関わっている可能性は無きにしも非ずです。
そして元刑事の都築というおじさんが登場します。
おそらくこの都築が、孝太郎の相棒ということになるのではないかと思われます。
都築は孝太郎とは全然違う場所から、違う事件を追い始めます。
不気味な塔のガーゴイル像の謎について調べていました。
都築と都築の町内に住む人々、
不気味な塔の管理会社、
不気味な塔で起こった過去の事件、
それらも何かしらの意味を持っていて、本編に関わってくるに違いありません。
さらに冒頭で登場した少女:真菜と、
真菜の面倒を見ている裕福そうな夫婦、
夫婦が入会している宗教法人と、
まだまだ謎めいた登場人物たちが、盛沢山です。
上巻のラストは、絶体絶命のピンチで幕を閉じます。
予断ならない展開が中巻の冒頭から始まることになるのでしょう。
悲嘆の門 中
上巻のラストが大ピンチで幕を下ろすため、即刻、読み始めることをお勧めします。
孝太郎に何が起こるのか?とドキドキしました。
ですがそこには、現実には存在しない現象が待っていました。
孝太郎と都築は、ある意味、異世界の門を叩いてしまったことになるのではないでしょうか。
この異世界が、現実で起こっている事件と、どう絡んでいくのか?
今後は異世界の問題と、現世界の事件を並行して読んでいく必要があります。
結局のところ、人間の欲望には限りがなく、それは人間でなくても同じで、異世界の存在も同じように欲望や渇望があるんだと思うんです。
それらの感情にどう向き合い、どう折り合いをつけていくのかが、試されている作品なのではないでしょうか。
下巻を読み終わった後は、もしかしたら新たな価値観が生まれているような気もするんです。
さて、中巻では、最悪の事件が勃発し、孝太郎の人間性が壊れていくさまが描かれていました。
異世界を少しでも垣間見てしまうと、どんなに正義感が強く道徳心が暑くても、狂い始めてしまうものなのでしょうか。
もしかしたら、正しければ正しいほどに、その清廉潔白さに色がついて汚れてしまうものなのでしょうか。
でも、まだ孝太郎はやり直せるし、成長もできるような気がするんです。
すんでのところで、都築という存在が止めてくれているような気もするんです。
そして下巻に突入します。
まだ、何も解決していないんです。
すべての事件が解決するとき、どんな未来が待っているのか、楽しみです。
悲嘆の門 下
言葉と物語が本作のテーマだったのですが、私には、言葉は言霊を連想し、物語は人生そのものを表すシネマティックレコードをも連想させる作品でした。
インターネットやSNSの影響で、対面で会わなくても会話ができるし、言葉を発さなくてもオンラインチャットができる時代です。
そんな時代にあってもなお、人が発する言葉と感情と欲望とその残滓によって、物語が形成されるという、アナログな状況を、存在しない存在が証明させている作品とも言えます。
いつの時代も、どんなに世界が進化しても、悪魔の照明をするのは難しいものです。
さて、深淵をのぞくモノは、深淵からものぞかれている。
ありとあらゆる推理小説で引用される深淵という言葉があります。
この言葉をどの作家も、生涯に1度は扱ってみたいと思っているはずです。
そしてその作家にとって、とっておきの作品か場面で、勝負の瞬間として使用するのではないでしょうか。
このニーチェの名言は、「怪物と戦うときは自らも怪物にならぬよう心せよ」という意味なんですが、本作は、ニーチェの引用を使ってはいないのだけれど、私にとっては、読みながらニーチェの名言を連想せずにはいられない物語でした。
世界の有名な名探偵も最終的には犯罪者と近い心理状態に陥ります。
ホームズはモリアーティ教授を道ずれに滝から身を投げます。
ポワロも自分の命が尽きるときに、凶悪犯を野放しにしないという選択をしてしまいます。
正義を貫くモノは、その正義感が強ければ強いほど、犯罪と犯罪者を憎みます。
だから最終的には犯罪者になる道を取るわけです。
木乃伊取りが木乃伊になる。
身もふたもないまさに、悲嘆にくれるという現実がそこにあります。
本作では、怪物になってしまうほどに追い詰められた主人公が、どのように元の世界に戻ってくるのか、正義とはいったいどこに、何のために、誰のためにあるのかを、それぞれが考え直さなくてはならないお話だったのだと思います。
とても重いテーマです。
そして誰しも陥りやすいジレンマでもあります。
明日は我が身です。
結末は、これで良かったのだと納得できる道へを導かれますが、心に何かちょっとしたしこりが残ったような感覚もあります。
世の中は完全に無情というわけでもないんです。
信じるものは信じ続けることが重要です。
それが救いにつながるのだと思います。
上巻の冒頭で登場した、天使のような少女が、悲嘆にくれる本作において、唯一の希望だったのだと思いました。